なぜ、自分たちが選択をしなければならないか、考えたことはありますか
何かを得るためには何かをあきらめなければならない。
そうすると、人生はあきらめの連続ということになりませんか?
資源が希少であることの理由の一つに機会費用という考え方がある。
例えば、あなたはこのブログを見ているが、この時間を部屋の掃除に充てると部屋はキレイになる。つまり、あなたは部屋をキレイにする代わりに、このブログを読んでいる。
この場合、時間=資源となる。
またその資源が全ての目的を達成するために十分な量がない場合、希少という表現を使う。
ここで、ほとんど全ての資源が希少である、ということは分かってもらえるでしょうし、だから僕らは選択をしなければならない、ということはご理解いただけるでしょうか?つまり、全ての目的が果たせるぐらい資源があったら選択をする必要などないということです。
例えば、あなたは1万円持っていて、1000円の本と2000円のDVDが欲しいと思ったら二つ買うだろう。
そして選択するのに重要なのが機会費用という考え方なのだ。
例えばの話、アルバイトと勉強。1時間勉強したとしたら、その分の時給が得られなくなってしまう。仮に時給が1000円だとしたら、その勉強の機会費用は1000円ということになる。そして最も厄介なのは、機会費用は金銭の問題だけではないということである。